【米倉 哲】大切なのは心の在り方。どんな仕事に対しても挑戦を楽しみ続けたからこそ見えた“景色”がある

明日を動かす人たち

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特集 WEBマガジン 明日を、動かす

KONISHIのコーポレートミッションである、「明日を、動かす。」

この言葉に想いを乗せて、未来に向けて挑戦している社員一人ひとりを紹介する企画が、「明日を、動かす人たち」です。

今回紹介するのは、米倉 哲。コニシ産業に新卒で入社してから40年近くの歴史を見てきた彼は過去、現在のステージでどんなことを感じ、どのように仕事に向き合ってきたのか。そして、定年後の再雇用になる未来にどんな展望を抱いているのか……米倉の等身大のストーリーをぜひご覧ください。

新卒入社、第1号。バブル景気を経て海外赴任へ

「米倉さんが入社した頃、僕はまだ生まれていません」社内の若手社員からはそう言われる機会が増えてきました。私が新卒で入社したのは1985年(昭和60年)なので、これも時代の流れですね。

私はコニシ産業の新卒入社第1号として営業の総合職として採用されましたが、最初の1年は社内のインフラを整えていく経営企画室で働いていました。自分の直属の上司が後の2代目社長(当時は社長室長)で、オフィスコンピューターの立ち上げと人事の仕事をやってくれないかとお声がかかったんです。新入社員だから全てのことが勉強になると思い快諾しました。

それからは毎日のように倉庫へ通い、そこの所長と相談しながらオフィスコンピューターに入力する商品マスターを手書きで起こす日々。日次処理、月次処理、年次処理をどうしていくかなど考えることは山積みで、さらには人事の仕事も手伝っていたのでいろいろなことが経験できました。新卒入社第1号だった私が翌年からの新卒社員の採用計画を考えるなど、責任が大きい役割をいただきとても勉強になったのを覚えています。

その後は営業の仕事に邁進し、定年を迎える今までお客様と深く関わりながらキャリアを構築してきました。

もう少し当時のことを振り返ると、1980年代の日本はバブル景気に向かっており、市場の活気をダイレクトに感じられた時代。コニシ産業が部品を取り扱うOA関連機器は性能がどんどん進化し、業界も急成長していてとても勢いがありました。

次第に、メーカー各社が日本だけでは生産が間に合わなくなり、一斉に海外へ。このタイミングで、コニシ産業のビジネスも海を渡り、私自身も海外赴任がキャリアの大きなターニングポイントになりました。

海外で「人生の糧」となる学びと経験を得る

2002年、私にコニシ産業上海事務所の現地責任者として白羽の矢が立ちました。

初めての海外赴任。不安と期待が入り混じる中、現地法人の立ち上げはロケットスタートをきり、大成功。ちょうど、中国は北京オリンピックや上海万博に向けて政策の転換期だったことも最初から波に乗れた理由の1つだったと思います。

その後、一旦日本に戻り本社で仕事をした後、2008年からタイのバンコクへ赴任。リーマンショックや、大規模デモで空港閉鎖、軍との衝突で戒厳令、超円高、大洪水などの自然災害と大変なこともありました。特に、バンコクの事務所設立は、上海での経験があったとはいえ、一人で渡航し全く0からの立ち上げ。そのため、たくさんの壁を乗り越える必要がありましたが、総じてかけがえのない体験をさせてもらったと感じています。

私自身、中国語もタイ語もわからない状況で、海外拠点の責任者になるなんて本来考えられないことかもしれません。しかし、お金を払ってでも海外留学や旅行をしたいという方がたくさんいる中で、仕事を通じてとても貴重な体験ができたからこそ、心から感謝しているのです。

特に、海外赴任を通して日本で働いていると簡単には会えないような方々と出会えたことが私の中では大きく印象に残っています。例えば、現地に進出している大手メーカーの重役の方々などとご飯やゴルフに行くなど仲良く交流し、仕事では切れ味鋭い意見やアドバイスなどもいただきとても刺激的でした。

また、現地の国の方々とどうやりとりをすればいいのかを実際の体験を通して学べたことも非常に勉強になりました。仕事の正解は1つではないこと、考えながらベストを目指して動くことの大切さなどを知りました。海外で働く経験によって視野が広がったことは、自分にとってプラスでしかなく、人生の糧となっています。

時代は変わっても、仕事の本質は変わらない

私は今までいろいろな仕事を経験してきましたし、いろいろな方との出会いがありましたが、全てがハッピーという訳ではありません。嬉しかったこともあれば、悩み苦しんだ経験もたくさんあります。

その中で見つけた答えは、やはり身体が資本だということ。いくら仕事ができても、倒れたら前には進めません。だから、些細なことかもしれませんが、週末に自分の好きなことをしてリフレッシュし月曜からは切り替えて仕事をするなど、何か嫌な気持ちになっても引きずらないように気分転換することを大切にしています。ネガティブに暗いことばかりを考えていたら、自分も周りもいいことは何ひとつありませんからね。

また、仕事の内容は昔と今では違うと思いますが、取り組む姿勢というか本質は変わらないのではないでしょうか。例えば、どんな時でも代替案を準備しておくこと。プレゼンでA案だけではなく、BCDくらいまで用意しておけば、どれかうまくいくかもしれない。常にどうしたらうまくいくかを考え、備えておくことは大事なことです。他にも、多少のことでは挫けない粘り強さは時代は変われど大切かもしれません。失敗を恐れる方は多いかもしれませんが、失敗自体は悪いことではなく、それ自体をどう活かして今後に向けて取り込んでいくかが大事なのです。

2023年で62歳になりましたが、引き続きコニシ産業で働きます。自分が長く働いていることが、時代の変化と向き合いながら“しぶとく粘り強くいることの証”になれたら嬉しいですね。これからは、後輩たちの成長をバックアップをしていくことが私の目標であり、常に新入社員のつもりで仕事に取り組んでいきたいと思います。

【インタビュー/記事記事制作 スゴモン 松田 然(もゆる)】